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久保田家のルーツ探し|オヤジ様と私のふたり旅|vol.627

久保田の話

昨日は仕事も兼ねて
オヤジ様と二人で

久保田の故郷に
行ってまいりました

私の本家は
大分県国東市国見町伊美(いみ)

大分の県北の離島「姫島」への
フェリーが出ている町です

私の祖先の伝記は
あくまで白黒の空想の世界

父親から聞いた話が全てです

しかし実際に故郷へ行くと
そこには知らないことが待っていました

久保田哲として生まれてきて55年

今回は国見町のお話しです


筆者
筆者
クボタサトシ

筆者は大分県大分市で

IT集客業をやっています

久保田サトシ と言います

 

本ブログは難しいとされるITの世界を少しでもわかりやすくお伝えし便利で豊かなデジタルの世界を知っていただくために毎日欠かさず書いています

 

なるべく「ひらがな」で解説いたしますがITと関連のない個人的なブログもありますのでたまたまの場合はご容赦ください

 

それでは今日の話も
最後までよろしくお願いいたします

▼久保田のプロフィール
https://blog.rocks-c.com/2023/01/04/satoshiani/



国東市国見町伊美

大分県の北部にある伊美

人口が1,000人にも満たない
小さな小さな集落です



私のオヤジ様(父親)
久保田武(たけし)さんは

昭和13年4月に
7人兄弟の6番目として
生まれました

今現在もおかげさまで
まだまだ元気の85歳です

戦後当時の田舎の集落とは
よく漫画に出てくる貧しい場所で

自然を相手に生き
漁業・農業で生計を立て

どの家庭も豊かではない
生活を過ごして来た苦労人の土地

そんな感じの場所です

オヤジ様からは
「昔は食べるものがなくて
農作業の手伝いばかりさせられて
なにもいいことがなかった〜」と

今とは程遠い話を
よく聞かされたものでした

私たち世代では
戦後の話はよく聞く苦労話です

しかし
聞く話を想像してみても
頭の中の想像には「色」が付いていません

すべて白黒の世界です

しかし実際に集落へ行き
もっと深く話を聞くと

実際に自分の目で見る景色が
今までの空想の世界と合わさり

次々と鮮明に
着色されていくのでした


オヤジ様とふたり旅

今回のふたり旅

あいにくの雨でしたが
まず大分から宇佐へ

そして宇佐から豊後高田へ
向かいます

昔は宇佐駅から豊後高田まで
列車が走っていたとの
話を聞きました

高校卒業後のオヤジ様は
大分市内の建設省に就職

田舎へ帰る際に

大分ー宇佐(国鉄)
宇佐ー豊後高田(宇佐参宮線
豊後高田ー国見町伊美(バス)

のルートを利用していたとのこと

宇佐から高田への
列車の話は初耳でした

WEBより拝借

今は整備された国道213号線を
「懐かしい」と呟きながら
海を見つめるオヤジ様

道や景観は変わっても
変わらない海をみながら
70年前を思い出していました

国道213 号
WEBより


兄弟への面会

今回の目的のひとつは
オヤジ様が兄弟に会うこと

先に記載した通り
オヤジ様は7人兄弟の6番目

もう3人が他界され
男兄弟は次男の「道夫」さんだけです

その道夫さんも今年で100歳

お互い疎遠になっていました

どこでどうしているのかを
調べていくと

地元の老人ホームに
いることがわかりました

オヤジ様も85歳

年齢を重ねると免許もなくなり

兄弟でさえ
どうやって探したらいいのか
簡単ではなくなってきます

今回私が
国見近辺の老人ホームを
片っ端から調べて

ようやく道夫おじさんを見つけ

死ぬ前に
対面を叶えることができました

どうしてもオヤジ様をつれて
道夫おじさんに
会いに行きたかったのです

だってもう生き残っている
数少ない兄弟なんですから

会えるうちに
会っておかないと

絶対後悔すると思ったからです

いざ老人ホームを訪ねると
こんな感じでの面会が叶いました

100歳なのにこんなにお元気で
85歳のオヤジ様も
元気をもらったようです

久しぶりの対面

そんなにしょっちゅう来れずに

これが最後かもしれない
と思うと

なんだかわからないけど
もらい泣きをしてしまいました


もうひとつの目的地へ

今回もう一つの目的は
国見町伊美の生家で

家系に関する様々なことを
調べることでした

・それぞれが亡くなった日
・生年月日 年齢

などです

オヤジ様の父親・母親

つまり私の
おじいちゃん・おばあちゃんが
いつ亡くなったのか?

何歳だったのか?

オヤジ様は
どうしても再確認しておきたかった
ことのようです

自分の日記の裏表紙に
親兄弟全ての記録を
記したかったんでしょうね

そして

その時に初めて知らされた
事実もありました

オヤジ様は7人兄弟ではなく
8人兄弟だったことです

6番目に生まれた兄弟は
わずか生後1年

1歳でなくなっていたことを
私は初めて知りました

私にはもう一人
おじさんが存在していたのです

本家の仏壇の
位牌の中を確認すると

木のプレートに刻まれた

亡くなった兄弟の
戒名・没年月日・俗名・没年齢
書かれたものが出てきたのでした

その中に
亡くなった1歳のおじさんの
戒名のプレートが入っていました


久保田家のお墓へ

それから海岸線沿いの
久保田家のお墓に参りました


そこで周りにたくさんある
「久保田家」のお墓を目にします

他家のお墓を見ると
なんと「久保田」だらけ

ここは「久保田」の総本家なんです

もしかしたら
この中に親戚がいるかも?
と思いながら手を合わせます

そして
久保田の家紋を
初めて見るのでした

長い長い
久保田家の歴史を感じ

今、私も命をいただいていることに
感謝をしながら手を合わせました

オヤジ様長生きしてくれ!

国東周りで大分市へ
帰途につきました

今回のふたり旅は
短い日帰りの旅でしたが

私にとって貴重な体験であり

自分が奇跡的に
この世に命を
いただいていることへの

感謝の旅となりました

オヤジ様と
もっともっと話がしたく

元気なうちに
いろんな話を聞かせてもらいたいと

心の底から思いましたね

オヤジ様
長生きしてください!

そしてもう少し
私に時間をください!

オヤジ様が
もっともっとより良い老後を
過ごせるようにがんばるけん!

だから
長生きしてください!

今日はITと関係ない話でしたが

どうしても
ブログに残したかったので

こんな感じで勘弁ください


 

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